ほぼ日刊イトイ新聞のススメ
ほぼ日が気になる
ほぼ日刊イトイ新聞が好きです。サイトをちゃんとウォッチするようになったのは社会人になってからで、好きなのはインタビュー記事です。
ほぼ日のインタビューには、自分が会えない人を、チラッと知れる良い記事がたくさん眠っています。
検索すればするほど出てくるし、矢沢永吉のインタビュー記事なんて過去の履歴まで漁りまくって読みました。
インタビュー記事がどれもこれも、素晴らしいくらいに瑞々しい
ぼくはネットで気になったものはほぼ、Evernote(みどりのぞうさんのマーク)かPoket(あかいデニムパンツのおしりポケットのマーク)に保存しています。
独特の演技を魅せていた男子フィギュアのジョニー・ウィアー選手のインタビュー、ぼくが読んだのはこの記事が掲載された2010年8月30日から3年ほど経った2013年10月30日でした。それでも、スタッフの興奮や、その場の雰囲気が伝わって来るように作られています。
ほぼ日刊イトイ新聞-Johnny Weir!!! オフィスにジョニーがやってきた。 Johnny Comes to Our Office.
臨場感は派手で良い!とは違う、たまたま居合わせたような臨場感
アーティストのかっこいい部分を、そこだけを際立たせたインタビューは珍しくありませんし、それくらいの格好つけた文章はいろいろなサイトでもよく見れる昨今です。
そんな雑多なインターネットの中で、一味違った雰囲気を出している(?)ほぼ日のインタビュー、そのステキなところは、その場の感動を、どう閉じ込めるか、そういうことを大事にした作られ方をしているということ。
例えば、ふつうのインタビュー記事なら削られるような相づち(うん、うん)とかもちゃんと書かれている。
書き手の熱量を感じる
自分が感動した、そういう感動を伝えるには、居合わせている人のことも書いてしまう。
本筋ではないけど、なぜ自分がこんなにも高揚したのか、どんな風に立ち会ったのか、その時あの人はどこにいたのか、そこまで書いてしまう。
そこまで興奮してしまう、そんなステキな人の、インタビューを、感動を、書きたい!伝えたい!そんな思いがそのまま形になったようなインタビュー記事が、たくさんある。
紹介したジョニー・ウィアーのインタビュー記事なんかはすごい、熱量が溢れてしまってプロローグまであるインタビューだ。
だから、ぼくはほぼ日に載っているインタビューが大好きだ。
コンテンツに食傷気味にならない工夫
ほぼ日刊でそんな熱量のあるインタビューは書き続けられない、たぶんぼくだったらネタより先に自分が枯渇する。燃え尽きる。
そしてインタビュー記事は結構なボリュームになる。それを発信する方も、受診する方も食傷気味、つまり食べ過ぎみたいなことになる。
そんなことにならないようになのか、いろいろなコンテンツが用意されている。「言いまつがい」とか、「気まぐれカメら」とか。ばあや(石田ゆり子さん)が書く、「はなちゃんの夏休み。」とか、ほわっとするものも多い。そこも、すごくいい。
「言いまつがい」「はなちゃんの夏休み。」については本も出ている
と思ったら「気まぐれカメら」は「ブイヨンの気持ち」として書籍化されていた!…ほしい。
- 作者: 糸井重里,ほぼ日刊イトイ新聞,長野ともこ
- 出版社/メーカー: 東京糸井重里事務所
- 発売日: 2009/04/13
- メディア: 単行本
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でも、本当にオススメしたいのは「今日のダーリン」
毎日更新されている糸井重里さんが更新しているショートエッセイのようなもので、新聞で言うなら天声人語的なポジションなのですが、これもいい。
何がいいって、インターネットは、形がないこと、いつでも、どこでも見れること、それが特徴のいわゆるプルメディアですが、「今日のダーリン」は消費される、アナログなプッシュメディア的側面を持っているんです。
「今日のダーリン」は、基本的には、
「毎日、更新されて、
毎日、消えていくコンテンツ」というふうに
とらえていただければ、と思います。
ほぼ日刊イトイ新聞-「今日のダーリン」のバックナンバーについて。
こういう、一期一会なコンテンツは、すごく良い、と思ってしまう。
腑に落ちる瞬間がある、気づきの楽しさ
僕が「自分を信じて」という言葉にむむ、と思っていたとき、「今日のダーリン」にばっちり言われてしまったことがある。その時の「今日のダーリン」を引用しようと思う。
・「じぶんを信じて」という励まし方は、よくある。
あれこれと、余計なことを考えるのではなく、
いつもの「じぶん」のやっていることを、信じる。
たとえ、それが、完全でないとしても。
このアドバイスは、まちがいないと思っていた。
そうだろう、そういうものだ、と。
しかし、そうとは限らないぞ、とわかった日がある。
へたな釣り人のぼくが、
ローカルな大会に出場していたときのことだった。
試合の前日、霞ヶ浦でのことだった。
気の好い先輩に、なにか助言をもらおうとしたら、
「じぶんの釣りをすることです」と言われた。
そうだろう、そういうものだとは思えなかった。
なぜならば、ぼくは、へたで不勉強すぎる選手なので、
「じぶんの釣り」なんて、まだ持ってなかったのだ。
「じぶんを信じて」だとか「じぶんの方法で」だとかは、
最低限でも、なにかをやってきた人だけの姿勢なのだ。
信じるだけの「じぶん」をつくれてないときには、
どうしょうもないのである。
基礎の基礎、基本の基本は、なにをするにも必要なのだ。
早い話が、浮輪をつけていながら、
水泳の大会にでるようなことはできない。
どちらかと言えば、ぼくは、
なにかをするのに資格が要るだとか、
シロウトはひっこんでいろなどと言うほうではない。
しかし、「じぶん」のかたちがないままに
なにかをすることはできないということだけは言える。
「そのままのわたしを愛して」だとかも同じなのだが、
その「わたし」という「じぶん」というのは、
どういうものなんだ、ということだけは問われている。
うちの子どもが小学生のときに、
「勉強しないのはかまわないけれど、
なんにも力がないままだと、
ともだちを助けることもできないだろ?」
と言ったことも思い出す。
それやこれもありつつ、「じぶんを信じて」だじょー。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
そして、それはそうとなんだけど、釣りがしたいなぁ‥‥。
気になる一文を見出しにして遊ぶ
こんなショートエッセイを、Evernoteに保存するとき、僕は、サブタイトルを(きになる一文を見出しに)つけて遊んでいる。「じぶん」のかたちがないままに なにかをすることはできないということだけは言える、このときはここだった。まさに天声人語的な遊びと言っていいと思う。そういう遊びが、ほぼ毎日できる。
ほぼ日手帳が良い
僕は今年からデビューした人なので、まだまだ、使い始めたばかりです。でも、使いたくなる、読みたくなる手帳です。今日のダーリンもちょっと載ってるし、言いまつがいも載ってるし、手に取ってほしいなー。そんで書いてほしい。そんで見せてほしい。僕も見せたい。でも四月はじまりっていう。はあ…早く毎日書き込みたい…。
ほぼ日手帳の魅力はがっつりここに詰まっている!
かなり勢いにまかせて書いてしまいましたが、平たくいうと、僕の中でかなりほぼ日がきている、というお話でした。
参考リンク