電気の力が必要なものが多すぎないか?
最近思うのは「そんなに力使わなくなって大丈夫?」ってこと。電動アシスト自転車ってなんなのさ、じゃあ人間はどこで力を使うんだ?と思う。
電気を買って楽をしていることを意識しているか?
東日本大震災以来、電気代がぶち上がってるっていうのにお金を払ってまで楽してどうするのかな…?それに、停電したらどうするの?3.11以降起こった計画停電を僕は忘れられないし、あの日に真っ暗になった電車が忘れられない。
あれから5年以上経過しているけど、忘れてはいけないと思っているし、如何にそれまで電気に依存していたのかを思い知ったから「電動アシスト自転車買いたい!」となかなか言えない。子供が生まれて、ママチャリも電動が良いということは嫁に言われるし、楽をさせてあげたいなと思っているけど、「停電したらどうすんの?」というのが頭を掠める。
ただでさえ都市部の人間は運動不足だっていうのに楽してどうすんの?太るよ?(小声)なんてことも考えてしまう。
電動アシスト自転車のイニシャルコストは高すぎると思う
はっきり言って電動アシスト自転車は通常の自転車(ママチャリ)の7倍以上の価格設定がされていて、電池に関しては間違いなく経年劣化をしていくかなりの金食い虫だ。ずーとその電池パックを使える訳ではないし、バッテリーパックを交換すればモデルチェンジしていく本体に合わせてバッテリーパックの変更もあるだろうし、交換パーツの補給の保証がないので車体を丸ごと変えなければいけなくなる。よしんば確保されていたとしていつ製造したものかによってバッテリーの反応時間なんて簡単に変わってしまう。
ぼくは言いたいのは、電動自転車はイニシャルコストも高くて、ランニングコストも掛かって、メンテナンスもしづらい。だから僕はあまり電動自転車をおすすめしない。
電気を使わない発明がとても気になる
電気が停まったとき、普段の生活がある程度維持できないならそれは言ってみれば生活の自給率が低くて、なんだか普段安定していると思っていた生活がとても危ういものなのだと思い知らされてしまう気がする。それに、パフォーマンスが落ちるのが自分だけならいいが、それで子どもに我慢をさせるのは難しいだろうし、かわいそうだ。
でも、基本的に電気を使った発明は非常に良いものだと思っている。僕の大好きな朝のコーヒーはエスプレッソマシンを使って淹れている。電気を使って1気圧の圧力でエスプレッソを抽出する。これはもともと人が手動で圧力をかけていたものを電気で代替することで味のばらつきを抑えられることを可能にした機械だ。プロでもないのにエスプレッソマシンを使って淹れるとプロっぽい感じがするところも気に入ってる。そろそろReDesignすることが求められているのではないかと思う。
エネルギー問題は深刻だというなら石油を燃やして電気を作って、送電線通って減衰した電気をドバドバ使ってる場合ではない。使う電力は小さく、出来たら電気を使わないで済む方がいい。オフグリッドなんて極端なことは言わないけど、生活に必要なエネルギーを小さくする技術を大切にしたいな、と思う。
今日も読みにきてくれてありがとうございます。
電気は便利だけど、依存してはいけないんじゃないかな、なくなった時がこわいよな、と思っている。良い距離感で電気や家電と付き合っていきたい。備えあればだ。