足るを知るは幸せの近道か?
足るを知る者は富む
人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであるということ。
ミニマリズムってこれがベースなのかなあ、と考えてみたりしたりして。でもまあ、これだけじゃないと思ったんですよね。ご飯食べながらですけど。
足るを知るの難しさを知る
物質面では確かにそうだなあと思うことはあるんだけど、人って恐ろしいもので、退屈が嫌いなくせにすぐに慣れてしまう。なので、足るを知るってかなり難しいよね、と日々思うわけです。
特に「いままで体験したことがないことをしたい!」という欲求は抑えるのがかなり難しい部類の欲求だと思う。とりわけ読書などの趣味は物欲とは切り離されているけど、立派な物欲だと思うわけです。
めちゃくちゃ足るを知っているおじいちゃんおばあちゃんはなんか受け身というか、朝起きる、お茶入れる、畑行く、ご飯食べる、畑行く、テレビつける、…みたいな感じで完成されたルーチンなんだよと言われれば、確かに…と思うんだけど。
畑を職場に変えた途端に、ぞっとしたわけです。
あれ、これオレじゃね?
そして思ったんです。雨風しのげる場所があって、可愛い奥さんと子どもがいて、お休みもちゃんと取れる職場でっていうと…なんでも揃っているけど、寒い朝にみんなであったかくておいしいココアの作り方知ってたらもっといいよねって。
いまある幸せをしっかり見ることと、
いま感じている虚しさを無視しないこと、
このふたつが幸せの近道なんでは?
幸せとは…という話になりがちなのでこういうエントリーはしたくなかったんですが、なんか思いついてしまったので勢いに任せてあげてしまいました。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
余談ですが、おじいちゃんといわれて出てくるのはヴェルタースオリジナルで、おばあちゃんといわれて出てくるのは龍角散のど飴です。なぜでしょう。。