クレープから付加価値
昨日、ディズニーランドの帰りに舞浜駅のクレープ屋さんでクレープを2つ買って、改札内で食べてから電車に乗って帰ることにした。
具沢山なクレープを食べながら、奥さんと「美味しいクレープ」について話をした。「あそこの地下にあるクレープは具の量が少ないよね」とか「ここのは具沢山で美味しいね」とかそういう話をした。
なんかの拍子に小さいころから食べているお店のクレープがチープと言われている気がして、ちょっとむっとしたのかも知れないのだけど、そのとき僕はこんなことを考えた。
「そもそもクレープってそんなに具沢山な食べ物なのかなあ?」
「マルゲリータだって、トマトソース塗って、チーズのっけて、バジルのっけて焼いて、オリーブオイルかけてってしただけの料理だもんね」
「そういう意味ではこの具沢山なクレープって、もともとの"クレープ"からちょっと離れていて、より"商品ぽいもの"なのかもしれないなあ」
なんてことをね。
我ながら目の前のクレープが不味くなりそうなことを考えていることに驚いたけど。
よく知った素朴な”クレープ”より圧倒的に豪華なクレープに僕は(なんて豪華なんだ!)驚いていなかったということに気づいてまたびっくりした。
僕はあの素朴な生地の味のするクレープが好きみたいだと。
そんな話を奥さんにしたら、
「あなたはいちごキャラメルクリームアイスクレープを食べていないからそんなことを言うんだ」「同じ値段でこの具沢山はやばい」と言っていた。
僕はそんなに甘いものと甘いものと甘いものと甘いものの組み合わせはちょっとキツイな、と思ったけど。
「そっかあ、もったいないことをしたな」と言っておいた。
料理って外食とか課金しやすい…
料理は素材を調味料と組み合わせて調理して、合わせる飲み物やお店の雰囲気でどんな付加価値を付けるか、ということに集約されている行為で、だからこそ知っている調理法や調味料の組み合わせの妙、むかしっからの…とかっていう、可視化しにくい手札が活きてくる。
とすれば逆に料理をすればするほど家庭料理の付加価値生産性は上がるのではないか?と思ったので、その仮説を立証するべく楽して弁当生活することからはじめようと思った。